踊れ、グローズヌイ! Q and A



2.      主人公の舞踊家、ラムザン・アフマードフさんについて。

 
ラムザン・アフマードフは、1954年生まれです。強制移住先のカザフスタン南東部で産まれ
彼が両親に連れられ。故郷のチェチェン共和国、ウルス・マルタンに戻ることができたのは
1957
のことです。少年時代に有名な舞踊家ドッカ・カギロフのアマチュア舞踊団に参加した
のが、
舞踊家の道に進むきっかけとなりました。
1973年から75年にソ連軍に徴兵され、東独のライプ
チッヒ駐屯部隊に配属され、除隊後に当時、既にチェチェン・イングーシ自治共和国で
最も伝統
と権威のある国立民族舞踊団「ワイナフ」の指導者だったタル・エリムバーエフから
招かれて、
その団員となり、職業的舞踊家の道を歩み始めました。また、南ロシアのロストフ・
ナ・ドヌー
の人民経済大学で高等教育を修めました。


 彼は、舞踊家として
1982年には、チェチェン・イングーシ自治共和国功労芸術家、1987には、
同共和国人民芸術家、
1990年ロシア連邦共和国功労芸術家という称号を授与されています。
「ワイナフ」では、ソリストとして活躍して、チェチェン国内だけでなく、ロシア全域、
国外の
公演にも、数多く派遣されていました。


 第一次チェチェン戦争中の1995年には、「ワイナフ」の芸術監督に指名されました。そして1998
年に、年金生活に入るとして「ワイナフ」を退団、彼はクラスノダル文化アカデミーの通信学生と
なります。同じ年、グローズヌイ市の文化行政の責任者にも指名されました。この
立場で、青少年
舞踊団「ダイモーク(わが祖国)」を創設します。
1999年晩秋から、2000春は、チェチェンの
首都グローズヌイは、侵攻するロシア軍と独立派武装勢力の烈しい地上戦
の戦場となり、多くの
人々が隣接する諸国に避難したり、建物の地下室に隠れて生き延びよう
としました。 

 この間、「ダイモーク」の関係者は、北コーカサスのイングーシ共和国やカバルディノ・バルカ
リア
共和国の首都ナリチクに避難しています。しかし、ラムザンは、舞踊団「ダイモーク」の国内
再建を目指します。

この間の事情は、ラムザン自身が「踊れ、グローズヌイ!」の中で語っています。この再建
重要な役割を果たしているのが、作品中では、具体的には語られていませんが、いち早く再
建され
たグローズヌイ市立第
14中学校で、団員の子どもたち優先的に受け入れ、また舞踊団の稽古場として、
体育館を提供しています。ラムザンが、子どもたちにヨーロッパ巡演旅行の心
構えを説くシーンは、
学校の一隅です。

 2003年に、舞踊団「ダイモーク」の管轄は市から共和国に移されて文化省の直轄創作団体となり
ます。「ダイモーク」を支えているもう一人の主役は、ラムザンの奥さんのアイザで、彼
女も1981
以来、国立舞踊団「ワイナフ」の団員でした。ラムザンの「ダイモーク」設立と共
に、その舞踊監督
に就任し、ラムザンを支えています。長女のアミナートは、「踊れ、グロー
ズヌイ」に登場していま
す。予告編でも使っていますが、第
14中学校の校庭でのインタビューと続いての学校入り口前での、
レズギンカを踊るのが、彼女です。彼女は現在では、ソリスト
の若手舞踊家として、そして人気の
ある歌手としても活躍しています。息子のハッサンも作品
中に登場しています。彼は、現在は英国で、
「ダイモーク」支援の中心人物、クリス・ハンタ
ー氏のもとで暮らし、学校に通っています。

 2008年暮れに行われたアミナートのコンサートのポスター 
撮影:岡田 チェチェン共和国文化省広報室で


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