踊れ、グローズヌイ! FAQ


4. チェチェンの現状はどうなっているのか? グローズヌイの今は?

チェチェンは、北コーカサスの小国です。コーカサスはロシアの一番南に位置しています。モスクワから
ほぼ真南、西に黒海、東にカスピ海が、陸地を挟んでいます。そこに東西に障壁のようにコーカサス山脈
が聳えています。その北の斜面と、山麓の平原部が北コーカサスということになります。そこには実にさま
ざまな出自の、数多くの民族が暮らしていますが、コーカサスの人々と一括りにできるような文化もまた
存在しています。チェチェンが注目されるのは、コーカサスの諸民族の中では、民族集団としては最大で
百万を超す人口があり、南下してきたロシアに4世紀にわたって抵抗するコーカサス民衆の中心となって
きた。とりわけ、19世紀に大コーカサス戦争という帝政ロシアから大弾圧を受け、20世紀には、スターリン
による中央アジアへの強制移住で、人口を半数に減らし、20世紀末には独立運動で、人口の4分の1を
失うという悲劇を経験しています。

その民衆を精神面で支えたものは、表面的にはイスラーム信仰ですが、底流に流れているのは、彼らの
イスラーム信仰の受容よりも遙か以前に形成された道徳律でした。この道徳律はウェズデンゲルとか、
アダートとか呼ばれています。ロシア語から直訳すると、「名誉の掟」ですが。そして目に見えるものとして
は、人々の歌や踊りがあるのです。

 19世紀後半にコーカサスにおける石油産業が始まります。アゼルバイジャンのバクー油田とグローズヌイ
の油田は、ロスチャイルドや、ノーベルといった初期の石油資本の活躍の場となります。如何に豊かな油井
かという例えに、水を得ようと井戸を掘ったら石油が湧いてきてしまったと言った話しもあります。


 
強制移住の日にささげる ウマル・ディマーエフの音楽つきのフォト・ビデオクリップです。
 反抗的なチェチェン民族50万人をまるごとカザフスタン、中央アジア、シベリアに強制移住という恐ろしい
蛮行が、ソ連政府の手で1944年2月23日に実施されました。およそ半数の人々が生きては戻れませんで
した。1957年まで彼らは強制移住先で過ごしました。この強烈な体験が、多くの祖国や故郷を偲ぶ歌を
産みだしたのです。


 
もともと北コーカサスの山国、豊かな自然に恵まれたチェチェンは美しい国です。動画クリップです。


チェチェン戦争以前のグローズヌイの公共建造物 
チェチェン文化省公式サイトから 
ロシア語ページです サブネイル画像をクリックすると大きな画像が出てきます

 1950年代の半ば、強制移住させられたチェチェンの人びとに、故郷に戻るチャンスが訪れます。1953年
にスターリンが死亡、1956年にフルシチョフは公然とスターリンを批判、さまざまな是正処置が執られる
中で、チェチェン・イングーシ自治共和国の復活とチェチェン人の故郷への帰還が実現します。自治共和国
の形が横長から縦長に変わってしまったり、山岳部の村には帰還が許されなかったり、フルシチョフの
施策にはいろいろ問題はありましたが、共和国とグローズヌイの復興は急速に進みます。この当時、中央
政府は、北コーカサスの各都市に、一点豪華主義で予算をつけた。北オセチアの首都、オルジョニキーゼ
(現在のウラジカフカス)は、こうして映画撮影所を建設することになり、グローズヌイは公園を選んだのだ
そうです。グローズヌイは、北コーカサス随一の美しい公園都市となりました。町の随所に辻公園が配置
され、花壇には四季折々の花々が咲き乱れ、美しい噴水がアクセントをつけていました。並木道には、さま
ざまな果樹が実をつけ、望むものは、自由に採ることが出来たとといわれています。一方、グローズヌイの
周辺部には工場群が建設され、グローズヌイは、南ロシアでは中心都市ロストフ・ナ・ドヌーに次ぐ工業都市
という側面もありました。

チェチェン戦争中の情景 (音楽つきフォトアルバム)

 チェチェンとその首都グローズヌイ、そして隣国イングーシに設けられた難民キャンプの1995-2004年の
様子を取材したオランダの報道写真家エディ・ファン・ウェッセルさんのウェブサイトを見て下さい。

 1980年代末期、全体主義国家ソ連が抱えていた矛盾は、飽和点に達し、改革が不可欠となります。その
中で、さまざまな改革が打ち出されますが、その一つに、ソ連構成共和国と自治共和国の間にあった格差
の撤廃がありました。構成共和国には、そんなことを実行しようとしたら、即弾圧の対象になっていましたが
形式的には、ソ連邦からの離脱が権利として保障されていました。同時に自由意志で加入も出来ることに
なっており、「日本人民が熱烈に願えば!」ソ連に加わることも理屈の上では可能でした。ところが、格下の
自治共和国には、離脱権は保証されていませんでした。ソ連の末期にこの格差が法的に撤廃されたのです。

 チェチェンでは、他のソ連の各地域と同じように、1991年11月に主権宣言を行い、ソビエト連邦からの離脱
を宣言しました。そしてソ連が1991年12月31日をもって幕を閉じると、継承国家となったロシア連邦への参加
を拒否しました。この独立を承認する主要国家はありませんでしたが、94年には独立を阻止しようとするロシアと
戦争が始まり、96年に一時停戦し、ロシアとの間に国家間条約とも受け取れる平和条約が結ばれ、最終決定
を5年後に先送りしたものの、これを移行期間と見なせる事実上の独立国家となりました。しかし、ロシア側は、
反攻の機会をねらい、1999年に戦争は再開されました。この間に、民間人死者20万人以上、うち子どもの犠牲者、
5万という人的被害、加えて全土の生活インフラやグローズヌイなどの都市は壊滅的な破壊をこうむりました。

 2000年の1月末、独立派部隊は、数ヶ月続いた首都グローズヌイの攻防戦をやめ、南部山岳地帯に移動し
ゲリラ戦に移行することを決定します。この間、多くのグローズヌイ住民は、首都を捨て、田舎や隣国に避難し
ましたが、逃げ遅れたり、逃げる当ての無かった数万の市民は、すさまじい砲爆撃の下で、必死で生き延び
ようとしました。皮肉なことに、逃げ遅れた市民の中にはロシア系など非チェチェン人住民の比率が非常に
高かったのです。また、第一次チェチェン戦争では、右も左も良くわからないような徴兵されたばかりのロシア
新兵(スロチニキ)が投入されて多くの犠牲をだして、世論の憤激を呼んだことから、ロシア軍は高い給料で金
目当てに志願した「契約兵(コントラクトニキ)を数多く投入しました。彼らの中には、略奪目的で徴募に応じたり、
もともと犯罪者として収監されていて、チェチェン行きと交換に免罪されたものが、数多く含まれていました。
ウラジーミル・シャマーノフ将軍の率いた当初の部隊は、特に悪評の高い事件を数多く引き起こしています。
戦車部隊の司令官で、女子中学生を強姦して殺したユリー・ブダーノフ大佐は、彼の部下でした。

 グローズヌイを逃れた子どもたちの証言を集めた記録映像に、チェチェン人の女性映像作家、ザーラ・イマーエワ
「子どもの物語にあらず」があります。ストリーミング配信されていますので、ぜひご覧下さい。また当時の、
子どもたちが描いた絵をもとにしたアニメ「春になったら」もご覧いただけます。


チェチェン 再建されたグローズヌイ中心部の公共建造物
チェチェン文化省公式サイトから 
ロシア語ページです サブネイル画像をクリックすると大きな画像が出てきます

 2000年1月末に、グローズヌイで戦っていたおよそ5,000人のチェチェン武装勢力の兵士とロシア軍の殺戮を
恐れた残留市民は、グローズヌイの市の周りの地雷原を横切って南部平原部と山岳部への脱出を図ります。
脱出自体で400名近い触雷による死傷者がでましたが、地雷原を突破するとは考えもしなかったロシア軍の
意表をついた作戦で、チェチェン側はロシア軍の皆殺しを免れたのでした。この時、撤退路に位置していた、郊外
の村、アルハン・カラに医療施設を設けていた、外科医ハッサン・バイエフの自伝「誓い」には、この間の状況が
詳述されています。グローズヌイを占領したロシア軍は、新しい傀儡として、独立派のムフティー(イスラーム宗教
指導者)だったアフマド=ハジ・カディロフを臨時行政府長官に任命して、ロシア連邦の枠内での国家再建を
図ります。南部山岳部に逃れた武装勢力は、根強い抵抗を続けましたが、指導者を次々と殺害されて、次第に
かつての力を失います。2005-6年にかけて、武装抵抗運動は、非武装民間人を巻き込まない戦法に転換し、
チェチェン国外でロシア側に打撃を与える方針に方向転換します。そういう中で、情勢は、次第に安定化し、平原
部では、ロシア側の「チェチェン化」政策が、一定の効果を見せ始めます。占領ロシア軍にも、傀儡行政機構にも
大きな腐敗が存在していますが、民衆の生活状況の改善にも、お金が次第に回ってくるようになったというわけ
です。とりわけ、公共建造物の整備などが進み、「踊れ、グローズヌイ!」に出てくるような戦争で破壊された廃屋
は都心部には見当たらなくなりました。また病院、文化センター、学校などの再建もスピードアップしています。

しかし、2009年4月に、北コーカサス対テロ合同軍作戦指定地域からの解除が実現したもの、5月に、首都の内務省
庁舎で自爆事件が起き、東南部山岳部では小規模戦闘が頻発するなど、情勢が完全に安定したとは到底言える
状況ではありません。また、武装抵抗運動に参加する者に対して、その親族に厳しい報復を加えると政府指導者が
言明するなど、チェチェンの人権状況には首を傾げざるを得ない状況が続いています。


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